ウェディングコンセプト- マグリットウェディング誕生秘話 | ザ マグリット 岡山の結婚式場 | ウェディング・ブライダル

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なぜ、このザ マグリット・ウェディングは誕生したのか?

ニューヨーク生活で発見した
年齢や人種を超えた、人間のハピネスに対する欲求の本質。

ここに書かせていただいたことは、20年間一度も文章にしたことのないことです。
でも、これを書かないことには、なぜ、ザ マグリットのウェディングが誕生したかを説明できないからです。
どうか、最後まで読んでいただけたらと思います。           代表取締役社長 羽原俊秀

岡山の結婚式場ザ マグリット代表取締役社長 羽原俊秀僕は、今から約20年前、3年間ニューヨークに住んでいました。
最初は、クイーンズ地区に住みましたが、次に、マンハッタンのチェルシー地区に引越し、その後、ソーホー地区、最後にグリニッジビレッジと計3回引越しをしました。
当時、ニューヨークに住んでいるというだけで、日本にいる友人、知人から、「今後、知り合いの○○○さんがニューヨークに行くから町を案内してやって欲しい」という内容の電話が毎週のようにありました。もちろん、すべての人をご案内する訳にはいかなかったのですが、出来るだけご案内するように努力していました。多い月はひと月で35名以上の人を案内したこともありましたし、多いときは15名ぐらいを同時にご案内したこともありました。(まるでツアーコンダクターみたいでしょ!)

岡山の結婚式場マグリット画像リバーカフェ岡山の結婚式場マグリット画像ハーレムコンサート案内する場所は決まって、ハーレムのアマチュアのコンサート、クラブ(ディスコ)、カフェ、レストランなど、自分がお気に入りの場所ばかりでした。ハーレムのアポロシアターでのアマチュアナイトやゴスペル、マンハッタンの夜景が一望できるブルックリンのレストラン、“リバーカフェ”のバー、そして、クラブ(ディスコ)などなど。どれもこれも僕の自慢の場所と空気です。

ザ マグリット・ウェディングの原点との出逢い

日本から来られる方々は、いろんな方がいらっしゃいました。東京の人、岡山の人、若い人、お年を召した方、女性の方、男性の方、ご夫婦、友人同士・・・。もちろん僕はプロのツアーコンダクターではなかったのですが、その時に僕はあることに気付きました。それは、人間は趣味や好みに関係なく、本当に良いものや本物と言われるものを見たり、聞いたり、食べたり、触れたりすると、多くの人間は深く感動したり、とても心地いい思いをするということです。そして、感動もあるレベルを超えるとみんな子供のような目になり、本心から楽しむっていうことです。
中でもクラブ(ディスコ)は特別な空気、新しい時代のパーティーを予感させるものがありました。それが日本から訪れる人を最も魅了したものかも知れません。
岡山の結婚式場マグリット画像NYの街並み
日本にいる時、私はディスコがあまり好きではなかったのですが、チェルシー地区にあるNELL‘S(ネルズ)というクラブに行ったのがきっかけでクラブの雰囲気がとても好きになりました。このネルズに通った経験が今のザ マグリットの披露宴の空気を創ったと言っても過言ではないと思います。1980年代後半はちょうどハウスミュージックが誕生した頃です。その頃はレゲエハウスもありました。

ひょんなことからネルズのスタッフと仲良くなり、マネージャーに会わせてくれメンバーになることが出来ました。メンバーの中では僕がただ一人の日本人だったと思います。メンバーはマネージャーの好みだけで決まります。マネージャーの面接(約30秒ぐらいの面接でしたが)でOKをもらい、後日、「346」の番号が掘り込まれたキーホルダーが郵送されてきました。おそらく、ニューヨーク全体でネルズのメンバーはたったの500人程度だったと思います。当時のネルズのメンバーになることはとても名誉なことでした。

クラブの入場料(いわゆるチャージ)は、日によって違いますが、5ドル~20ドル。ドリンクはチップを入れて約8ドルぐらいでした。
当時の人気クラブは「ニューヨーク・スタイル」といって入店するのがとても難しい時代でした。「ニューヨーク・スタイル」とはクラブのスタッフの好みで気に入った人から入店出来るという身勝手なスタイルです。入り口に入店したい人が群がっているのですが、人気のDJだったりすると100人近くが群がります。そして、入り口にいるクラブのスタッフが個人的に気にいった人から入店させる訳ですが、気にいられた人は全く待たずに入れるのに対し、気にいられない人は30分以上待つこともあります。ところが、これがメンバーになるといつ行っても待たずにしかも無料で入店することが出来ました。もちろん、同伴者が何人いても待つことはありませんでした。

入り口を入ると店内は薄暗く、まるでオペラ座の怪人を思い出させるような、古いクラシックな雰囲気。言い方を変えれば「ハリーポッター」のような雰囲気です。一階はバーとレストランになっていて、音楽はクラッシックが流れていました。たかがクラブ(ディスコ)なのに高いシャンパン(10万円を超える)もありました。レストランもそこそこちゃんとしたレストランです。地下に下りるとラウンジ(大きなリビングルームような空間)があり、そこにはたくさんのソファーがありました。そして、厚手のカーテンの向こうでは、日本のディスコとは違いキャンドルと少しの照明だけのダンスフロアーがあり、深夜12時まではここにもクラッシックがかかっていました。ところが12時を超えると突然、ハウスミュージック(日によってはレゲエ)に切り替わり、朝の4時までダンスタイムが続きます。

1980年後半のネルズは、毎日がパーティーのようで、まるで映画を見ているようでした。当時、ニューヨークにはヤッピー(ヤング・アーバン・プロフェッショナルの略)というエリート人間たちがいて、夜になってはおしゃれな女性たちは黒いドレス、カッコイイ男性たちも黒いスーツやタキシードに身をまとい、ミステリアスな空間で時を過ごしていました。とは言っても決して気取った高級なお店ではなく、誰もが行けるとてもアットホームな雰囲気の店でした。
そこには癒しとインパクトが同居していました。


他にもクラブは “パラディアム”、“パラダイスガレージ”、“ロボット”、“ワールド”、“トンネル”、“ライムライト”などが人気で、それぞれクラブにはエンターテイメント性がありました。パーティーホールのような1980年代後半のおしゃれなクラブ。それらはもう今はニューヨークにありません。ネルズも当時の面影を残しながら、経営者が変わってしまったので、客層も音楽も変わってしまいました。


ザ マグリット・ウェディングの誕生

1989年の夏、僕は帰国することになり、家業の都市型観光旅館、岡山石山花壇の三代目として入社することになった訳です。当時、自分のウェディングをきっかけに日本のウェディングはとてもつまらないことに気付きました。その頃、当社は婚礼は年間2~3組しかなく、ほとんどが宿泊と宴会でした。ところが当時宴会のセールスをやっていた女性社員から「結婚式を本格的にやりたい!」という話がありました。当時は大広間の畳にじゅうたんを引いてのウェディングがスタートでしたが、女性スタッフの熱意で素晴らしいウェディングの核が完成しました。当時のウェディングのブランド名は「わがままウェディング」でした。
マグリットウェディングの原点

数年が経ち、1995年、僕はニューヨークのネルズを岡山石山花壇で再現したいと思うようになりました。そして、誕生したのが、ザ マグリットの2階にあるザ マグリット・ホールです。当時、披露宴会場の常識を破った全く異質のホールの完成でした。黒い椅子、120灯を越えるピンスポット、古いレンガの壁、そして、黄色のアンティクアの壁。それはそれはとても不思議な空間でした。

当時の石山花壇
マグリットウェディングの原点チャペル前マグリットウェディングの原点6階客室マグリットウェディングの原点2階広間マグリットウェディングの原点5階大宴会場マグリットウェディングの原点玄関










それから10年、ザ マグリットは、ニューヨークでヒントを得たパーティーのあり方に日本旅館のおもてなし文化を融合させ、新たな時代のウェディング文化を作り上げました。ザ マグリットのキーワードは融合です。異なった文化同士が新たな融合する。難しいことだけどそこには無限の可能性があります。これからもザ マグリット・ウェディングは新たな文化を創造しながら、日々進化をし続けます。

大人を子供にする。私たちはどんな人も素直に出来る魔法をこうやって作ってきました。